生きゆく分別
カテゴリ・フォルダ分けが苦手だ。
例えばスマホのアプリのフォルダ分けだとすると『よく使う』『便利』『ゲーム』『SNS』とかいろいろ作成して、するのはいいのだけれど肝心のアプリをどこに入れればいいか迷ってしまう。
ツイッターはSNSだけどよく使うし、乗換案内だって便利でよく使うからまた然り。
パソコンを所持していたらフォルダの中にフォルダを作って、そこにまたフォルダを作って、そこにまたフォルダを……のマトリョーシカ状態にさせてしまうタイプです。
同じように人に対するカテゴライズを作成していた。人っていうのは無意識にフォルダを作り、作成した各フォルダにそれぞれの人間をいれておく。
私が人用に今まで作成していたフォルダは『好き』『苦手』『怖い』の3つだった。『嫌い』のフォルダを作らなかったのは認めたくなかったからだ。どんなに相手に嫌われていたり嫌な思いをさせられても、嫌いだって認めたくなかったんだ。
「あなたが私のことが大嫌いでも私はあなたが嫌いじゃないよ」って優しい言葉をかけたかったんだ。偽善でも。
でも最近、ようやくそれは言い訳なんだって。いい人しいなフリして優しい虚像を作り上げていることに疲れたんだ。
というわけで『怖い』と『苦手』を併合させ、更に『嫌い』フォルダを作った。
併合させた『怖い』と『苦手』は『怖いから苦手であって嫌いじゃない』ってことで、例を書くとすると『無愛想で怖いけれど分からなかったりすることや苦手なことをサポートしてくれるから嫌いじゃない』
『嫌い』は簡略的に書けば癪に障る人。
もちろん私自身は『嫌い』カテゴリに振り分けられる。
整理整頓が好きだけど苦手だ。おかげでカテゴリ分けがあいも変わらずごちゃごちゃで困った。
スケルトンゾンビが足にまとわりついてる感じがして、重くて、存在することの難しさに絶望して膝から崩れ落ちそうになる。