逃走病

ODしたくなるよ、健忘起こして自我の没落を楽しみたいよ、でも我に返ったら怖さと後悔が襲いかかってきて出来ない。

怖さと後悔に脅かされながらODしていたあの頃は別ベクトルで精神的強さを持っていたのだな。馬鹿だ。

ハルシオン効かないから増やして欲しいって伝えたい。マイスリー飲んでた時があったし効いてたけれど、それ故あんまりいい思い出がないからハルシオンがいい。

労働先、みんないい人だけど、人怖いしやっぱりずっとどきどきギクシャク、世間話なんて出来ない、広がらない、頭ぐるぐるするから抗不安薬頂きたい。デパスは処方されたら最後、たちまちODしてしまうことだろう。輸入のバスピンは効く時間が短い上にとてつもなく苦い。セロクエルは眠気が仕事に支障をきたしそうで不安。

わくわくワイパックスレキソタンソラナックス飲んでみたい。わくわくワイパックスは飲んだことあるけどイカれたODメンバーの1種だった記憶しかなくて効いてたかは覚えてない。

 

 

お外はすっかり春で、ひょっこり夏が顔を出してるくらい暑かった。ひゅうとすり抜ける風が心地よくて、見上げればお空きれい…ってなる。人様の家の花壇に植えられた名前もわからない花、道端に生えてるたんぽぽとかあとはわからない花、つぼみ、かわいいなぁと思って周囲に人がいないのを十二分に確認して足取り小躍り。ロマンチストぶってた。ぶってるようで実際私はロマンチストだ。ロマンチストだから現実に絶望して死にたくなる。歩きながら目に入ってきた高層マンションを見てあそこに住んでる人はいいなぁ、いざとなればすぐに飛べるんだものと高層マンションの住民に思いを馳せた。それもまたロマン。

電車にブチ当たれば国鉄?から賠償金取られる、ビル等から飛び降りれば管理会社から賠償金とられる、家の中ひっそり首を吊れば曰く付き物件となって住ませてくださった家主に恩を仇で返すことになる。

恩を仇で返す最大の相手は産んでくださった両親だけれど人の気持ちになりふり構ってられない。私は親に死なれたくない。親より先に死にたい。産んで育ててくれた恩を返し死なれちゃ嫌だと切実に願いながら倍恩を送るようにはしてる。年数分の恩をまるごと一気に返すことは出来ないけどそれなりに、1の恩の上に恩を重ねて返せる時は返すようにしている。その恩返しの最中に両親が死んでしまったら残りの恩はどうすればいい?これからどうやって返そうかと考えていた恩が虚しく泡沫となることだって仇で返されてしまったようなもんだ。つまり何が言いたいかって自分でも分からない。

 

暴  論

 

とありとあらゆる死亡先のその先を鑑みるに、ここはやはり手短にある太い木にでもぶら下がればいいかとなるけど木々も迷惑だろう。青木ヶ原樹海のイメージダウン、飛び降り自殺の名所東尋坊も…は…ポケGOでアップしてよかったね。

そんなら国直々が自殺オーケー区域を作ればいいのでは?暗に言えば安楽死制の導入。置いてかれた人の気持ちも大事だけど追い詰められて死にたい人の気持ちも大事。後者にスポットをあてて書くとこの区域設置、良くなーい?フェンスで囲んで木々を設置する。死にたくなったらフェンスの扉を開けてレッツ首吊り。先客に怖気づいて生きるとするか、むしろ心強いから死ぬとするかは個々人が決めること。

ここで問題が出てきた。腐敗臭と死体をどうするか。めんどくさいから国の人に任せる。国直々の自殺スポットだから。

どーーーせそんなスポット作られるわけないし!

 

以上は一般市民の妄想です。

病的に自分のことを好いてくれる女の子がいて、市販の品レベルのグッズまで何百個と作り上げいて、どれもクオリティ高すぎてドン引きして、私はその話を聞いている学校の4階にある渡り廊下から飛び降り自殺した。夕焼けがきれいだった。

死ねなかった。飛び降りたのに渡り廊下にまたいた。また延々と彼女の作り上げた私のグッズがいかに精巧かを彼女自身によってにこやかに語られてる中、私は頭の中で(今度は6階かそれ以上の屋上で頭から飛び降りよう)と決心した頃で目が覚めた。

にっき

働いてきました。人生初バイトです。

 

前職は明確に自分を責め立てる人間がいたけど現職場はそんな人がいない。

一日目だから世界が見えてない可能性はなきにしもあらずとしても、見聞きした感じ現職場のみんなは全員優しくて、蹴落とすこともせずむしろ互いを褒め合い協力しあう姿、一日でそんな拍手するの!?ってくらい褒め合って英気を養っていて驚いた。前職の怒号と陰口がなくて爽やか。

自分を責めているのは自分自分なのだと再確認しました。

面接の時点で社長が「自分を責めることはない」というようなことを言ってくださってたから、まぁアルバイトだからなぁって気軽に素直に受け入れられる。初日から自分の不出来さが嫌で泣きそうになったけど、アルバイトだからで乗り切れて良かったです。でも多分そのうち泣きます。

それでも家に帰って尚、負の感情がおさまらないので「メガトロン様のお褒めのお言葉集」を視聴したらメガトロン様べらぼうに慈愛の塊過ぎて別の意味で泣きそうになりました。大帝の「ぞ集」も視聴したら爆発しました。あのアニメ爆発なんて日常茶飯事だけどね。

声優さんについてあまり詳しくないくせにこんなこと書くのは恐れ多い身分ですが加藤精三さんと鈴置洋孝さんと政宗一成さんが日替わりで褒めてくださったら多分余裕綽々で生きていけます。そこに中田譲治さんと大塚明夫さんと飛田展男さんと子安武人さんがいれば無敵です。ぼくの考えた無敵パーティーはすごいぞ

 

 

 

家のトイレの電球が切れました。さして困らないので買い換えるのをしぶっています。

明日も乗り切るぞーエイエイオー

メガトロン様ついでにチャージマン研を久々に視聴したら実家に帰ったような安心感がありました。不安定さが逆に安心するから不思議なものですね。

悔い改めよ

いきなり物騒な書き始めだが、父親の首を絞めたことがある。

確か社会人3年目の冬あたりだった気がする。それで話を進めることにします。

 

常日頃からもう嫌だ、つらい、体調悪い、怖い、自分は役立たずのクズ、仕事辞めたいと思いながら働き3年ちょっと、とうとう耐え切れず父にそれとなくその旨をこぼすと「仕事はそういうものなんだから」「誰だってつらい、どこにでも嫌な人だっている」と一蹴されてしまった。もっともな意見なだけに否定出来なかった。辞める辞めないの決定権は本来私にあるものだけど、けれど私は決定権を父に委ねていた。母は体が弱く働けない。私が小さい頃パートで働いていた時期もあったけどやっぱり体調崩して辞めた。兄はフリーター。

父はまさに一家の大黒柱で稼ぎ頭、なので私は少しでも家計が楽になるのならと支えるべく高校就職したのである。あと大学行きたくなかった。どちらの道にせよ人間関係に困っただろうけど。

父は幼少時代から結構苦労した人生を送ってきたらしい。それを経て専門職に就き、定年を迎えるまで一貫してその仕事をしている。仕事をしていた、じゃなくて、今も仕事をしている。

 そんな父からして見れば私の労働年数で辞めたいだなんて甘ったれも同然であっただろう。私自身も辞めたいという気持ちは甘えだと自覚していた。だから何も言い返せず仕事を続け、またたまに辞めたいと父にこぼし、それを聞いた父は決まって上述の台詞で叱咤し、を繰り返し数ヶ月が経っていった。

そうしている内に私の鬱憤はフリーターである兄に向かった。兄のことは嫌いじゃないから兄弟仲はよかった。ただ、水面下で家計に金を入れず好き勝手している兄が憎くて羨ましかった。どうして兄は奔放としているのに私はこんなにつらい思いをしなきゃいけないんだ、差別だと歯噛みしていた。

まぁ今となっては無職である故私が家族カースト最底辺なんですがねHAHAHA☆大変申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

 そんな日々を送っていたが、あることをきっかけ(そこは割愛)にストレスのピークに達して張り詰めた糸が切れてコップにたまった薄汚れた得体の知れないドロドロがとうとう溢れ冒頭に至った訳である。

「どうして私ばっかり」

今も馬鹿でガキみたいな精神だけど、昔の方が途方もどうしようもなく馬鹿でガキだった。子供なんてかわいい言い方よりガキの方があってる。

衝動的に座敷に座っていた父の肩を掴み力任せに押し倒し馬乗りになり、泣きつつ無言で父の首に両手の力を込めた。言い訳だろう、本当はあったんだろう、と読んでるあなたは思うかもしれないけど、本当に殺すとか殺さないとかそういう概念は無くて、自分の苦しみをただただぶつけたかった。その後のことは考えてなかった。

もっとグッと込めようとしたら、父は「いいよ」とただ一言こちらと目を合わせて、言った。やめろとは言わなかった。

その言葉を聞いた途端、力が抜けた。同時になんてことをしてしまったんだろうという悔悟と恐怖が脳内を駆け巡った。立ち上がり自室に逃げて布団をかぶってひたすら泣いた。ボロボロ涙を流しながらじっとしていると、居間から父のすすり泣く声が聞こえた。

事実は消せない。情け容赦無く襲いかかってくる。布団に逃げても現状から逃げられない。だから私は薬に逃げた。隠し持っていたレスタミンメイラックスをある分だけ飲んだ。じきに意識が朦朧として平衡感覚がおかしくなって部屋中ドタリ、バタリと起き上がっては倒れた。

意識が完全に途切れる合間に覚えているのは、父が私を抱き上げてるシーンで、次にハッキリと目が覚めるときちんと布団の中で私は横たわっていた。幸いにもその日は休日なので助かった。更に父は既に仕事へ行ったので会わずに済んだ。

一応記載しておくと両親は毒親ではない。

私自身が勝手に自分で自分をがんじがらめにしてそれこそ首を絞めて自滅したのだ。

父を避けたかったが一緒に住んでる以上顔を合わせざるを得ない。最初こそ心の壁を作って父と会話を交わさずにいたが、淡々と時間は過ぎていく。そうして父と私の間にあったヘンテコな壁は次第に脆く朽ち果て消え去り、父と普通に顔を合わせられるし会話も出来るようになった。まるであの出来事のことなどなかったかのように。それが出来たのは、時間と、なにより被害者であるにも関わらず優しく接してくれた父のおかげだ。それでも父の顔を見る度苦しくなる。罪悪感は消えることはないし消えちゃいけない。

 

 そんなこんなやってるうちに一人暮らしを始めたりなんやかんやで4年目満了で仕事を辞めた。そしてあれやこれやと今に至る。

 

今日、地元にちょっとした用が出来たので母に車で乗せてってもらった。車ないので。ペーパードライバーなので。

その帰りにボチボチ社会復帰の話になってやっぱり正社員にこだわらずに視野を広げたほうがいいかなぁって話になってどこの国のシャカイも現状厳しいよねーって話になって最終的にこの記事の要となる、父の首を絞めたことを今も後悔してる話になった。

母は「首絞めたの?」と聞き返してきた。母はそのことを知らなかった。ということは父は何も言わなかったのだ。自ら墓穴を掘ってしまった!!ジーザス!

もしかしたら知らないふりだったのかもしれないけどどっちでもいい。

 

恥ずかしさとあの時の後悔がまたぶり返し涙目になりながら助手席の窓越しから流れる景色を見てると母にこう言われた。

「後悔してるなら、もう心配かけないでね」

そんな、ご無体な!って思った。この文を書くにあたって、ご無体という言葉の使い方間違ってる?と思って調べたら『ごぶたい』じゃなくて『ごむたい』と読むのだと初めて知った。言葉の使い方も違ってるっぽい。どちらかというと痛いところを突かれたが正しい。母の口から出た『もう心配かけないで』はおそらく私が昨年の夏頃にODの末に急性薬物中毒でピーポーパーポーされ入院したことを指しているのであろう。

 

「心配かけないでね」という台詞は呪いの言葉のようだと思った。

自宅に帰るなり、昨夜吊るしたロープを解いてクローゼットにしまった。ODは1月中旬に別件でやらかし反省して以降既にやめて今も続いてる。

 

私は今後も馬鹿をやらかしかねない。だからこそこの文を書いたのだ。忘れるなよという戒め、懺悔。

あと反面教師になればいいかなーとかウヘヘヘヘヘ

いろんな人がもう散々言ってるけど、仕事が苦しくて嫌でもうこれ以上ダメだと思ったら、誰にどうこう言われようが辞めたほうがいいと思います。全くその通りだわーってウンウン頷く。でもなかなかそう簡単に事は進まないんだよね。自分以外のロードーシャも、カイシャも、それらを統べるシャカイも難しい存在だ。ひえーこわ!パネェよ!マジやべーよ!

溜め込みすぎると自分でも何しでかすか分からないものなんだなって身を持って実感しました。

私の場合は上述の形となって表れたけど、他の人だって自分の中の限界を超えたら他者を傷付けたり自殺したり過労死したりする可能性はある、というか現に起こって問題になってるわけなんだから。ヒエェやっぱり世の中こわい、おうちにこもってたい。

 

働くことは怖いけど、早く無職から脱出したい気持ちの方が大きいです。幾分でもいいから今よりかは成長したい。自分のためにも、親のためにも。お金も欲しいしね!ワハハ!

ブラック・ジャック その後

5日前に書いた記事にて紹介した「空からきた子ども」届いたので観ました。

 

べらぼうに良かったです。

 

このアニメを知るきっかけは昔NHK手塚治虫特集の予告でちょろっとだけアニメのシーンが出てたからなんですが、そのシーンが根強く記憶に残っていたからです。

声こそないけれどブラック・ジャックが叫びそして俯くシーン。

ずっとずっと観たかったんです。

念願叶ってそのシーンもお目にかかることが出来ました。

 

「はははははっ、ブラック・ジャック!天才外科医と呼ばれたお前が子ども一人の命も救うことができんのか!」

 

すごかった…アニメの表現、ブラック・ジャックの表情、大塚明夫さんの声、全部が素晴らしかった、めちゃくちゃリピート再生した。原作と読み合わせたらアニメオリジナルの台詞だった、この台詞を言わせようと考えた方に感謝。

胸ぐらを掴むシーンも良かった。ほんの一瞬しか映らない表情をスマホカメラにおさめるべく何回も停止しては巻き戻しを繰り返した。

手術シーンもしっかり描かれその後の展開も文句なし。

観れて幸せだった…

 

ブラック・ジャック30周年ボックスも届いたー!!

包装もトランク型と凝っていて、未収録話や複製原画から傑作選、時計やクリスタル像まで入ってて最高でしかなかったです。

いえー!さいこー!

 

真夜中、車を走らせていた。運転手は知らない男子高校生だった。

沈黙しながら実家の方で散々と見た道を走る。赤信号を待つ。

沈黙を破ったのは私だった。

「なんで私に執着するの」

ボソリと質問したら、彼は淡々とした声でこう答えた。

「はじめて嫌いって人に言われたから」

 

そんな理由かよと呆れた。恋愛小説のテンプレートみたいな奴だな。

好きでもないくせに、ことある毎に絡んできてうっとおしい奴だと思ったのに、反面何故かその言葉が嬉しくて私は泣きそうになった。

だから絆されて私はか細い声で「いいよ」と言って彼の手を握った。

 

どうしてこうなったか覚えてないけれど、そのシーンだけは鮮明に残っている。

 

その後どうなったかも知らない。

場面も視点も切り替わり、第三者目線で宮崎駿が嫌々制作した豚(ポルコじゃない)のカーレースを見ていた。夢の中でもそこは宮崎駿、ハラハラもさせられドキドキもさせられた。

他にもなんやかんやあった気がするけど忘れて起きた。そして現在に至る。

 

体が水分を欲していたので甘酒を飲んでいる。飲み終わったらもう一度寝る。寝れなくてもただ目を瞑ることにする。

 

冒頭、私が彼に聞いた台詞と、彼への気持ちは私の深層心理をよく表してるなぁと思った。

無理なものは無理

3時頃起きてついったのやつちまちま描かせてもらって、あとは適当に時間潰して、9時頃電話かけた。繋がらなかった。時間を置いてまたかけても繋がらなかった。

寝ることにした。

 

 

15時に起きたら死と無と食、その言葉以外がからっぽになってた。空虚。

シーザーサラダ食べて剤飲んで寝る。セロクエル出番だ!がんばえー!