震える手で必死に、腰を浮かす彼の袖口を握りしめて「好きです」と告白したのです。

ええ、ええ、伝えました。付き合ってください、とも、伝えました。何故とは。ただひたすらにあの瞬間でなければ、吐露出来なければついぞ叶うものではないと思ったのです。ですから、勇気をふりしぼっただけのことでした。

あの方の声を、覚えておりません。あの方の顔も、覚えておりません。ただ、黒いスーツ、白いシャツだけが印象的で、ああ、名も顔も知れぬ彼。彼が私に言い寄られ困った顔をしていたことだけは覚えております。そして、今言うのかと、困惑、苦笑いの混じった表情で答えたことも。何故でしょうか、顔も思い出せないのにそうであるという確証がありました。

 

物語はそれきりでした。「はい」とも「いいえ」とも、返事のない、有耶無耶な告白であったのに、すっきりしていたのは何故なのでしょう。正直に伝えたからでしょうか。肯定も、否定もされなかったからでしょうか。私には、分からなかったのです。