幼稚園の頃友達と遊んでいたら「シロシロシロ〜」と他の園児に謎の呪文と共に遊んでいた友達が連れ去られ私はぽつねんと一人立っていた。あの時は呆然とした。

 

 小学生の時道徳の授業で「クラスの子に嫌な思いをしたでしょ??」と無神経に一人ひとりに聞き、順番のきた私は「〇〇ちゃんに悪口を言われた」と言った。これは紛れもない事実である。

私は怖くて間髪入れずに「気がした」と補足した。先生は「気がした?」と質問して、その質問になんの意味があるのか分からないし「聞きました」と答えたらどうなるか分かりきっているので「気がした」と陰口を言っていたこのためにこたえてあげた。

 

時は過ぎ高校生になって一ヶ月経ったある日、下駄箱に入っていた新品のローファーが少しクタクタになったローファーに取り替えられていたことがある。

少しサイズが大きかったものの、特に新品に思い入れがあるわけでも不便性も無かったので、卒業するまで誰が所有していたか分からないその靴を履いて過ごしてあげた。

 

ロッカーに誰かが食べ終えたパンの袋が何回かあっても私は何も言わずゴミ箱に捨ててあげた。

 

文化祭のちょっとした手伝いを各学年各クラスから二人やらなくてはならなくて、私ともう一人女の子になって、その女の子が当日サボった時も私だけで物を運んだりしてあげた。

 

「やっこさん」だなんて名前のカスリもしないあだ名で呼ばれたりクラスの男子からあからさまな嘲笑や面白くもないいじりをされても何も言い返さずへらへらして流してあげたし、「やっこさん」という馬鹿らしい呼び名には応えないようにしてあげた。

 

 

 

 

私は寛容なのだ。私は寛容で心が広くて優しいから。

臆病だとか八方美人だとか、都合の良い人間だとかそんなの知らない。そう思わないとやっていられない。

幸せにならなければいいとは書かないから、「あげた」なんて嫌味な書き方するくらいのことは許してほしい。

知らないおじさんに500円をあげたことも許してあげた。

沢山許して「あげた」んだからさ、私を許してくれ。