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「自分じゃない自分を作って接する、って考えるといいよ」
お電話せんたーではたらいてた時にアドバイスされた言葉だ。
2017年の春、人と話すことがとてつもなく苦手なくせに見知らぬ人間に電話をし売り込みをする、そんなバイトに馬鹿げたチャレンジをした。時給が高かったからだ。死にたいくせに生きる、好き勝手する金が欲しかった。
架電と受電は違う。どちらも苦手だけれど。
架電すれば仕事中に営業電話かけんな、訴えるぞ。
受電すれば正当なクレームがあれば理不尽なクレームが来る。受電はやったことない。知人から聞いた話だ。
どちらにせよ怒る人は怒る。怖い。
もうどこの業種のどこの店だかも忘れたけれど、グーグル先生の評価でネット利用者から「皆とても優しい従業員でした!」など好感を得ている所に電話したがブチギレられた時の衝撃。お客様さまは神様で、お客様でなければ最下層の人間なわけだ。
私はもちろんノルマ達成率は低く、そして契約率も比例して低かった。
もともとコミュ力弱小なんだから仕方ないと心の中で弁解するも、それなりに責任感はあったのでちょこちょこロールプレイングをした。そうしてある時言われた言葉が冒頭のものである。
そのアドバイス通り、私ではない私として相手と話そうとした。
結論から書こう。無理だった。
果たして無理だった。
今になってようやく分かった気がする。出来なかった理由は『もともと自分じゃない自分で仕事をしていた』からである。
私は内弁慶でありそしてネット弁慶だ。なので実際に顔をあわせる人に対して基本的に汚い本音を隠して、というか言えずにへにゃへにゃした頼りない下手くそな笑いを浮かべてはい/いいえ、そうですねの応用、分かりました、すみません、といった機械じみたことしか話せない。
などと書くとわざと話すことを避けていると読み取られがちなのだけれど、実際に言葉や話題の引き出しがとてつもなく乏しい。じゃあ自分じゃないかともなるだろうけど違うそうじゃない(画像略)
態度、行動、声の高低、ふとした所作、表情の動き。
見られている。気を抜けば彼ら彼女らは私を見破る。
怖かった。だから尚更余計に私は私じゃない私で振る舞った。
つまりは『もともと自分じゃない自分を演じている上に自分じゃない自分を重ねて演じる』というややこしいことは不可能だったわけだ。
無論破滅した。
今の仕事の話をしよう。事務である。
やれることは、動きが遅かれど覚えた。しかしまだ覚えることがある。だがそれを覚える時期は今ではないのだ。
そんなわけで、あまりにもやることがないのでトイレ掃除しますよ!と名乗りを上げた。が、その度にタイミングが合わず今度教えるね、と言われるのを3回くらい繰り返した。
もはやトイレ掃除が好きな人として認識されていそうだ。
仕方なく床掃除を率先して行えばあなたみたいな女の子を嫁に欲しいものだと言われた。
私は思った。やめといた方がいいですよ。きっと嫁になんていったら一切何もしなくなるか、偽りの自分に耐えきれず自殺しますから、と。
彼女たちが欲しがる息子娘にふさわしい妻夫は気の利く都合の良い人間なのだと感じた。冗談で言ったとしても根底はそうなのだろう。要するに口答えをしない家事ラクラク、ストレス発散ロボット。
誰しもがねこをかぶってる。裏表のない人は稀で、それこそがきっと真実なんだろう。しかしそれを証明する人物がいないことも真実だ。本音は漏らさない限り自分自身しか知らないのだから。
いっときでも自分でない自分でいられることが救いだった。そしてそれが良くないことだった。
薬と酒を飲めば数十分後には普段の私は鳴りを潜めて知らない私が顔を出す。その私がどんな自分なのかすら知らない。
だから後悔する。覚えのない会話、覚えのない写真、覚えのない失態。正気に戻った時の自己嫌悪。
そうして私はまた酒と薬に手を出すのだ。
星の王子さまは地球へ来る途中酒飲みのおじさんがいる星に辿り着く。おじさんは酒を飲む。酒を飲むことを恥じて酒を飲む。それをまた恥じて酒を飲む。幾度となく繰り返す。この悪循環は止まらない。彼はまるで私だ。
私の星は矮小で欲にまみれた星だ。爆発すればいい。