ぶんぶん光る

まぶたを閉じればまぶたの裏がぶんぶん光る。時たま脳みそに直接電流が走るかのような衝撃が走る。決して痛みではないけれど、不愉快でならなかった。

夜の静けさが恐ろしい時がある。眠れぬ日は尚更そうだ。キンキンと耳鳴りがし、ひどい時は見知らぬ人間の声がする。ある時は男の声、またある時は女の声。何と喋っているか分からない言葉に鼓膜を震わされる感覚、というよりもやはり脳みそに直接響く感覚。これも不愉快でしかない。しかしどうすることも出来ない。
空想で気を紛らわそうにも紛らわせられない。
嘘で塗り固めることは簡単なことじゃない。理解していたが酷だ。
そうして心が死んでゆく。

きれいになりたかった。外にきらきら光るまぶしさを放つ女の子。しかしなれなかった。
きらきらではなくぶんぶんとした光を内側に与えられたのはどうしてか。浅ましく願ってしまった神様からの罰か、お情けか。

家族が死んだら誰よりも私が心の底から悲しむから、私も死んだら1人か2人、誰でもいいから心の底から悲しんでほしい。誰でもいいからしっかりと覚えていてほしい。さみしいと心の底から思ってほしい。
心は死にゆく。比例して孤独感が増してゆく。
欲深い。きっとまた罰か、良からぬお情けを与えられるかもしれない。それでも願ってしまう愚かさを許してくださいと心で乞うた。


小説風にしてみたぞい!今日も一日頑張らないぞい!
でも美しい文書にはあこがれフゥ〜↑↑
昔は太宰治(特に女性からまた夫、男への悲喜劇。悲喜劇とは語弊があるな)なぜああも美しく心を響かせる文を作り上げる?心を優しく、しかし穿つ鈍い
知識をひけらかすのは恥ずべきこと、というか馬鹿を露呈するに等しいもんさな。さてさて君は…ああ、いやべつになんでもないさ。

 

昔の文豪とはなんと美しいことだろう。

幾万年の時間を超えて得た文章は「あたまおかしくなりゅう♡」「ジョジョネタを入れればいいと思っている」「空白を無駄に使えばいいとおもっている」「あなたを私の下僕にしてさしあげますわよ」別に嫌いじゃない。好きでもない。ただ、現代の退化というのは恐ろしい。

馴れ馴れしい言葉遣いをすればいいのか。