悔い改めよ

いきなり物騒な書き始めだが、父親の首を絞めたことがある。

確か社会人3年目の冬あたりだった気がする。それで話を進めることにします。

 

常日頃からもう嫌だ、つらい、体調悪い、怖い、自分は役立たずのクズ、仕事辞めたいと思いながら働き3年ちょっと、とうとう耐え切れず父にそれとなくその旨をこぼすと「仕事はそういうものなんだから」「誰だってつらい、どこにでも嫌な人だっている」と一蹴されてしまった。もっともな意見なだけに否定出来なかった。辞める辞めないの決定権は本来私にあるものだけど、けれど私は決定権を父に委ねていた。母は体が弱く働けない。私が小さい頃パートで働いていた時期もあったけどやっぱり体調崩して辞めた。兄はフリーター。

父はまさに一家の大黒柱で稼ぎ頭、なので私は少しでも家計が楽になるのならと支えるべく高校就職したのである。あと大学行きたくなかった。どちらの道にせよ人間関係に困っただろうけど。

父は幼少時代から結構苦労した人生を送ってきたらしい。それを経て専門職に就き、定年を迎えるまで一貫してその仕事をしている。仕事をしていた、じゃなくて、今も仕事をしている。

 そんな父からして見れば私の労働年数で辞めたいだなんて甘ったれも同然であっただろう。私自身も辞めたいという気持ちは甘えだと自覚していた。だから何も言い返せず仕事を続け、またたまに辞めたいと父にこぼし、それを聞いた父は決まって上述の台詞で叱咤し、を繰り返し数ヶ月が経っていった。

そうしている内に私の鬱憤はフリーターである兄に向かった。兄のことは嫌いじゃないから兄弟仲はよかった。ただ、水面下で家計に金を入れず好き勝手している兄が憎くて羨ましかった。どうして兄は奔放としているのに私はこんなにつらい思いをしなきゃいけないんだ、差別だと歯噛みしていた。

まぁ今となっては無職である故私が家族カースト最底辺なんですがねHAHAHA☆大変申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

 そんな日々を送っていたが、あることをきっかけ(そこは割愛)にストレスのピークに達して張り詰めた糸が切れてコップにたまった薄汚れた得体の知れないドロドロがとうとう溢れ冒頭に至った訳である。

「どうして私ばっかり」

今も馬鹿でガキみたいな精神だけど、昔の方が途方もどうしようもなく馬鹿でガキだった。子供なんてかわいい言い方よりガキの方があってる。

衝動的に座敷に座っていた父の肩を掴み力任せに押し倒し馬乗りになり、泣きつつ無言で父の首に両手の力を込めた。言い訳だろう、本当はあったんだろう、と読んでるあなたは思うかもしれないけど、本当に殺すとか殺さないとかそういう概念は無くて、自分の苦しみをただただぶつけたかった。その後のことは考えてなかった。

もっとグッと込めようとしたら、父は「いいよ」とただ一言こちらと目を合わせて、言った。やめろとは言わなかった。

その言葉を聞いた途端、力が抜けた。同時になんてことをしてしまったんだろうという悔悟と恐怖が脳内を駆け巡った。立ち上がり自室に逃げて布団をかぶってひたすら泣いた。ボロボロ涙を流しながらじっとしていると、居間から父のすすり泣く声が聞こえた。

事実は消せない。情け容赦無く襲いかかってくる。布団に逃げても現状から逃げられない。だから私は薬に逃げた。隠し持っていたレスタミンメイラックスをある分だけ飲んだ。じきに意識が朦朧として平衡感覚がおかしくなって部屋中ドタリ、バタリと起き上がっては倒れた。

意識が完全に途切れる合間に覚えているのは、父が私を抱き上げてるシーンで、次にハッキリと目が覚めるときちんと布団の中で私は横たわっていた。幸いにもその日は休日なので助かった。更に父は既に仕事へ行ったので会わずに済んだ。

一応記載しておくと両親は毒親ではない。

私自身が勝手に自分で自分をがんじがらめにしてそれこそ首を絞めて自滅したのだ。

父を避けたかったが一緒に住んでる以上顔を合わせざるを得ない。最初こそ心の壁を作って父と会話を交わさずにいたが、淡々と時間は過ぎていく。そうして父と私の間にあったヘンテコな壁は次第に脆く朽ち果て消え去り、父と普通に顔を合わせられるし会話も出来るようになった。まるであの出来事のことなどなかったかのように。それが出来たのは、時間と、なにより被害者であるにも関わらず優しく接してくれた父のおかげだ。それでも父の顔を見る度苦しくなる。罪悪感は消えることはないし消えちゃいけない。

 

 そんなこんなやってるうちに一人暮らしを始めたりなんやかんやで4年目満了で仕事を辞めた。そしてあれやこれやと今に至る。

 

今日、地元にちょっとした用が出来たので母に車で乗せてってもらった。車ないので。ペーパードライバーなので。

その帰りにボチボチ社会復帰の話になってやっぱり正社員にこだわらずに視野を広げたほうがいいかなぁって話になってどこの国のシャカイも現状厳しいよねーって話になって最終的にこの記事の要となる、父の首を絞めたことを今も後悔してる話になった。

母は「首絞めたの?」と聞き返してきた。母はそのことを知らなかった。ということは父は何も言わなかったのだ。自ら墓穴を掘ってしまった!!ジーザス!

もしかしたら知らないふりだったのかもしれないけどどっちでもいい。

 

恥ずかしさとあの時の後悔がまたぶり返し涙目になりながら助手席の窓越しから流れる景色を見てると母にこう言われた。

「後悔してるなら、もう心配かけないでね」

そんな、ご無体な!って思った。この文を書くにあたって、ご無体という言葉の使い方間違ってる?と思って調べたら『ごぶたい』じゃなくて『ごむたい』と読むのだと初めて知った。言葉の使い方も違ってるっぽい。どちらかというと痛いところを突かれたが正しい。母の口から出た『もう心配かけないで』はおそらく私が昨年の夏頃にODの末に急性薬物中毒でピーポーパーポーされ入院したことを指しているのであろう。

 

「心配かけないでね」という台詞は呪いの言葉のようだと思った。

自宅に帰るなり、昨夜吊るしたロープを解いてクローゼットにしまった。ODは1月中旬に別件でやらかし反省して以降既にやめて今も続いてる。

 

私は今後も馬鹿をやらかしかねない。だからこそこの文を書いたのだ。忘れるなよという戒め、懺悔。

あと反面教師になればいいかなーとかウヘヘヘヘヘ

いろんな人がもう散々言ってるけど、仕事が苦しくて嫌でもうこれ以上ダメだと思ったら、誰にどうこう言われようが辞めたほうがいいと思います。全くその通りだわーってウンウン頷く。でもなかなかそう簡単に事は進まないんだよね。自分以外のロードーシャも、カイシャも、それらを統べるシャカイも難しい存在だ。ひえーこわ!パネェよ!マジやべーよ!

溜め込みすぎると自分でも何しでかすか分からないものなんだなって身を持って実感しました。

私の場合は上述の形となって表れたけど、他の人だって自分の中の限界を超えたら他者を傷付けたり自殺したり過労死したりする可能性はある、というか現に起こって問題になってるわけなんだから。ヒエェやっぱり世の中こわい、おうちにこもってたい。

 

働くことは怖いけど、早く無職から脱出したい気持ちの方が大きいです。幾分でもいいから今よりかは成長したい。自分のためにも、親のためにも。お金も欲しいしね!ワハハ!