低品質人生の下流的日常
キリンザストロングにラムネ味が期間限定で発売された。ラムネ味に目がない私はコンビニにてその爽やかな色をした500ml缶を見た瞬間魅了され4本ほど買った。ラムネ味に目がないと書いたな。それは嘘だ。嘘だけど美味しくて好きなのは事実だからね。加えて期間限定なんだから買っちゃうのも致し方ないよ。
コンビニに寄っては3、4本買った。一昨日もそうだった。アッこれは昨日の出来事です。
夕飯を食べ終え、自室にこもり飲酒タイムが始まる。おそらく時間は21時頃、お供はfgoだ。
ラムネの味した酒が進むこと進むこと、しかしクエスト進行度は進まない。令呪!星の石!ヤケクソ召喚!そうして時は過ぎていきます。そして
間。
気付いたら深夜2時40分くらいにワープしていた。ナムサン!!
少しの時間酔いつぶれて体が重く思考も重い。目を閉じれば最後、また寝てしまう。
私はこう思った。
(刀剣乱舞やらなきゃ…)
朦朧とする意識の中、刀剣乱舞Pocketを起動させ日々の任務を出来うる限り達成させた。
こうして安堵した私は心置きなく眠ることが自分自身から許された。
再び目が覚めたのは5時半頃だったか。ぼんやりした意識がだんだんとハッキリするにつれてある波が押し寄せてきた。そう、吐き気だ。すごく!気持ちが悪い!!すぐさま吐く!
だが侮ることなかれ。私は吐き気に対し妙な忍耐力があるという不思議な自信を持っていた。がしかし侮るがいい。自信とは自分を信じることであってそこに実力は伴わない。
こらえられなかったね。大丈夫大丈夫。寝てればおさまるとか能天気なこと考えてたけどマズイと思ってトイレ行って吐いたね。ツマミなしに飲んだからか固形物が無くて代わりに黄色い、湯に卵を割り入れたものを割り箸でぐちゃぐちゃにしたような感じのものに半透明さがプラスされた汁が出た。おそらく胆汁だろう。
一通り便器と顔をにらめっこしてしこたま吐き自室に戻り水分補給に白湯を飲んだ。
横になっても気持ちが悪い。そして(来るとは思っていたけれど)10分も経たぬうちに第二波が来た。
第二ラウンドは腹痛というマイナスが付加贈与されていた。腹はまだ耐えられる。いける!私はまた吐いた。今度は生温かい吐瀉物だった。心当たりがあり、断言も可能。それはズバリ先程のんだ白湯。
こうしてまたしこたま吐いて、今度はちょこっと水分補給して、また布団に戻る。数分後、また吐き気。
この第三波が特にやばかった。
また出てきた黄色いやつ、胃が痙攣してる気がする。息を吸いたいのに出したくて上手く呼吸が出来ないから苦しい。すごく口内が苦い。地獄じゃないか!
トイレの中、頭を垂れ、脂汗と涙を滲ませながら私は思った。
(ツイッターのTL遡らなきゃ…)
危機管理能力が著しくひどいと思う方もいるだろう。自分でも馬鹿だと分かる。
でも人って別のことに意識すれば多少楽にならない?派なので私は第四波からトイレで吐きつつ合間合間にツイッターを開きTLを遡った。苦しくてもネタツイで笑っちゃった。
無限ループの末少しずつ少しずつ吐き気は鳴りを潜め大分回復、最後に見た時計の時間は8時何分だったか。
目が覚めたのは12時頃だったか。吐き気、気持ち悪さは0に等しかった、わけじゃない。
気持ち悪かった。でもこの気持ち悪さはアルコール摂取の気持ち悪さじゃない。多分。分からないけれど。これはおそらく空腹の気持ち悪さですね。
だから私はこう思ったのだ。
どこまでも救いようがないですね。お昼ご飯はヨーグルトと明太子入りはんぺんを食べました。
それはそうとダウンしている間に関西の方が大変なことになっていたようで…今後ともお気をつけ下さい。
太陽が眩しかったから
どこにでもある田舎。田んぼだらけの風景。一本道。じんわりと火照らせる太陽。心もとない木陰。カラカラ回るペットボトルの風車。何もない。緑、緑、緑。
つい消ししただか前垢で呟いたかは定かでないのだけれど田んぼに水を張っている状態がとても好きなんです。それも苗を植える前のなーんにもない状態の。
近くで見ると茶色い土ばかり目に映るのに、遠くから見ると広大に張られた水が空の色を彩る。溶け込めそうな気さえした。もちろん気がするだけであり田んぼは田んぼ。水深は浅く足を取られるかもしれないにしてもどこまでも沈むこともない。それでも空を反映した水張り田んぼは底を把握出来ないくらい深いと錯覚してしまう。
ウユニ塩湖にはとても及ばない、それどころか比べるに値しない風景でも、私にとって身近なそれは十分にきれいなのだ。
よくよく見ると水はすごく透明で、まぁ、土はともかく水はそこらへんの池や川より本当に透き通っていてこれがまたきれいなのだ。全部が全部きれいなわけではなく、灰汁に似た苔だかよくわからない緑色が浮かんでいる田んぼもよく見かけたりもするものの。
そんな水田にもデメリットがある。前述に絶賛していた水面による反射だ。
何かと空が〜と書いたがなにも空だけを鏡写しするわけじゃない。気に食わないものも鏡写しさせる。
なにか。太陽だ。
とてつもなく強烈な光が攻撃してくる。特に目、顔を重点的に。ギラギラした太陽なら尚更攻撃力が増す。こればかりは降参である。
でも、嫌いになんかなれない。地元の人間はあまり好きではないけれど、長年慣れ親しんだ風景だけは好きだから。
■
人に説明することが苦手で、何故って自分ですらやり方が分からないからだ。
教えてもらった手順を真似てやってるだけ、つまりマニュアル通りにやってるだけだから『こうで、こうなるなら、こうすればいい』を具体的に説明出来ない。
その上人と話すことに緊張して相手の反応ばかり気にしてどうすればいいかを置いてけぼりにしてしまう。そうしてしっちゃかめっちゃかで、お互い頭の上にハテナマークが浮かんで終わる。
社会人 特に社員というのは入社したら誰しもが先輩から作業を教えてもらうものだ。たまにマニュアル見て作業しろって教えてもらえず自力で覚える例もたまに見かけたりもするものの大半は先輩に教えてもらう。そっちのほうが当たり前だと思う。
そしてそれを受け継いだ新入社員はいつしか日にちを重ねて新しく入社する人間の先輩となり、今度は自らが教える立場となる。
というか、正社員の頃そうなった。
苦痛で仕方なかった。
後輩は他の社員に教えを乞うてメキメキと力を身につけていった。そうしてテキパキと『正社員』として仕事を割り振っていった。いつしか私も割り振られる側になっていた。
羨ましくもあったし、楽でもあった。彼や彼女のように指示のできる人こそが逸材で会社が求めていたもの。
私はただ隅っこで、息を潜めて、機械的に作業をしていた。苦しくて、安心していた。
たまーに克服の一環として苦手なことをやったこともある。依然として地獄だった。泣いた。
と、まぁ昔のことを書いたことに理由はある。
今日死刑宣告を受けたからだ。
要約すれば「頼りになる人がもしかしたらいろんな事情で辞めるかもしれないから、その時は(本名)ちゃんに頑張ってもらうね☆」
その人の分の作業、アクシデントが起きた時の対応。そして何より不安なのがそう、人に教えることだった。
もしその有能な先輩が辞めたとならばその穴埋めに新しい人が入る。となれば教えるのは誰か?そう、私だ。きっと私だ。
確証はないがそんな気がする。どうしてかって?それは私に様々な手順を教えてくれた方が私よりやや早めに入った先輩だから。作業員の中で、私の、だいたい半年前に入った先輩だから。
そうとなればもし採用された人に今度教える立場になるのは私であろう。
詰んだと思った。予期せぬ最悪のシナリオ。まだ分からないが確定に近い展開。ああ、想像に難くない。
お願い先輩、やめないで。私に胃をキリキリさせないで。懇願したかった。しかし懇願できなかった。先輩にも先輩の事情があるのだから。引き止められるわけない。
どうなるか未知だけど、気が重い。
グズグズになってる
ガルニエ宮を目に焼き付けて死にたい。
ナポリを見てから死にたい。
美しいもの全部巡って死んで、そしたらギリシャの海に遺灰をまいてほしい。ギリシャ大迷惑である。
簡単に言えば努力してない。どうでもいいやって思った。
いつもはニコニコ笑顔を張り付けようと努力して会話もしなきゃってなるべくハキハキしようとしてるけど今日は無愛想になっしまった。声に抑揚が無かったって自分でも分かる。やることやったけれど、あんなんじゃやる気がないって感じられて当たり前だ。分からないことばかりだったっていうのがあるけどじゃあ聞けばいいって話なのでこれは言い訳だ。明日謝ろう。
どうでもよくないくせに。嫌われたくなんかないし疎外感や孤独感に苛まれるのはゴメンだって思ってるくせに。なのにそれを放棄して困るのは自分なのに。
トラックが目の前をビュウッて過ぎて行く時、アレにぶつかったら死ねるんだろうなって思う。
タイヤに巻き込まれて四肢があり得ない方向にねじ曲がって、熱と痛みに苦しまされることを想像しただけでも痛ましいし何より轢く側が被害を受けるので勿論車線に入らないけれど、確実に死ぬには痛みや苦しみから逃れられないのなら諦めるしかないけど怖くて、なんて考えたら頭がグワングワンした。
はきだめ
久方ぶり、かと言って一ヶ月ぶりに飲酒しました。
いいですね、お酒。頭がふわふわして、普段ならば出来ないこと、しちゃいけないこと、出来る気がしてくる。
私はよくわからなあ
っていうのが下書きにありました。この文はおそらく14日にしたためたものであって以降飲んでない!飲んでないよ!
優しいを行うことで私は救われる気がしました。
って書くと仰々しいにもほどがあるけれど。神様を信じてないのに悪いことをすると罰が下るって思っちゃうから人に悪いこと出来ないんだよ。ほんの少しいたずら心、いたずら心じゃないな、いじわる、みみっちいことしたくなる。嫌だなって思ってしまう人に。
でもさでもさやっぱりこれ以上バチ当たるの怖くてしなくてそういう時優しいって褒めてやるんだ。腑に落ちない自分に優しくしてやらないと拗ねちゃうから。
自分に悪いことすることに罪悪感ないのはなんでなんだろう?自己責任で自業自得で、自罰的で、あー分からない、分からないこといっぱいある。疲れた。
単純な思考回路で小難しいこと考えるから頭がパンクするんです。いつもそう。馬鹿なのに物事を遠回りでややこしく見てしまう。ひねくれ者だし…
あーあー嫌になる、嫌だ。分からないから嫌だ。何が分からないのかも分からないから嫌だ。
頭痛くなったり右胸が痛くなったりすると「痛いけどまぁ死ねるなら受容しよっかな」って思えるのに、夜中目が覚めて寝ようとしても脳がびりびりして唐突に頭に直で女子中学生の声とか男の人の声が響いてくる(幻聴って自覚ある反面これは幻聴に入るの?話しかけられてるじゃなくてラジオを聞いてるみたいに他者の会話が耳に入ってくる感じ)のは耐えられなくつらい。死にてー。
ってのが冒頭の下書きに加えられていました。今日は2018/03/21です。こんばんは!
ふと人生を振り返ると人に嫌なことされたことばかり思い出されます。しかし私は嫌なことをしてこなかったのか?と自身に問えば「それもない」と答えるほかありません。たくさん嫌な思いをしたし、その分たくさんいろんな人にいろんな嫌な思いをさせてしまったなと反省しました。反省したからといって金輪際人に不愉快な思いをさせない約束が出来ないです。存在しているだけで不愉快にさせてしまうんだろう。言動、行動、態度やあり方などなにかしらあるだろうし…。そもそもこんなメソメソした文章で不愉快にさせてしまうかもしれなくて…それでそれでとまーためんどくさーくグルグル考えてしまって。止まった。ツイッタですらネットの目を気にするようになってしまった。ダメ人間だ。
気にしていたらキリがなくなってしまった。また疲れた。
人がことごとくマウント取りしてくると感じてしまう自分が嫌いです。優位に見せる為の道具として使われてる気がしてる自分が嫌いです。ネットならなんとも感じないし良かったってまだ願えるのに、現実で接する人間にそんなことなんでなんですかね。雑音。耳障りで嫌だ。疲れた。
親にでも誰にでも何かを直に愚痴とか疲れを簡単に吐露出来る人こそ正解例なんだって見る度思います。言えるから健康な精神でいられるのかなって。それっていいな、嫉妬してしまう。個人的なものだって予防線を張っておきます。事実分からないし。
文章がまとまらない。
生きゆく分別
カテゴリ・フォルダ分けが苦手だ。
例えばスマホのアプリのフォルダ分けだとすると『よく使う』『便利』『ゲーム』『SNS』とかいろいろ作成して、するのはいいのだけれど肝心のアプリをどこに入れればいいか迷ってしまう。
ツイッターはSNSだけどよく使うし、乗換案内だって便利でよく使うからまた然り。
パソコンを所持していたらフォルダの中にフォルダを作って、そこにまたフォルダを作って、そこにまたフォルダを……のマトリョーシカ状態にさせてしまうタイプです。
同じように人に対するカテゴライズを作成していた。人っていうのは無意識にフォルダを作り、作成した各フォルダにそれぞれの人間をいれておく。
私が人用に今まで作成していたフォルダは『好き』『苦手』『怖い』の3つだった。『嫌い』のフォルダを作らなかったのは認めたくなかったからだ。どんなに相手に嫌われていたり嫌な思いをさせられても、嫌いだって認めたくなかったんだ。
「あなたが私のことが大嫌いでも私はあなたが嫌いじゃないよ」って優しい言葉をかけたかったんだ。偽善でも。
でも最近、ようやくそれは言い訳なんだって。いい人しいなフリして優しい虚像を作り上げていることに疲れたんだ。
というわけで『怖い』と『苦手』を併合させ、更に『嫌い』フォルダを作った。
併合させた『怖い』と『苦手』は『怖いから苦手であって嫌いじゃない』ってことで、例を書くとすると『無愛想で怖いけれど分からなかったりすることや苦手なことをサポートしてくれるから嫌いじゃない』
『嫌い』は簡略的に書けば癪に障る人。
もちろん私自身は『嫌い』カテゴリに振り分けられる。
整理整頓が好きだけど苦手だ。おかげでカテゴリ分けがあいも変わらずごちゃごちゃで困った。
スケルトンゾンビが足にまとわりついてる感じがして、重くて、存在することの難しさに絶望して膝から崩れ落ちそうになる。
愛を渡せる量がない
今年で20半ばになる。四捨五入するとアラサーだ。後半だ。
20代後半になると7割上がってくる話題が「結婚」「子供」で、20代後半に『性別が女であること』が追加されるとなれば前述の話題が8割になるだろう。分からないけど。多分。
というより私がそう言われている。つまるところ私の話です。そうです。愚痴だな?と聞かれたら愚痴です。
子供は嫌いじゃない。可愛い。でも可愛いと思う反面、全ての人が怖くて子供も例外ではなく畏怖の念を抱いている。怖い。子供ゆえの無邪気さとか。可愛いけど関わりたくない。
可愛いんだよ。他人の子供は。他人の子供は可愛い。おめでとうと思える。
ところが、もし自分が子供を授かったらになると話が違うのだ。自身の腹の中に赤子がいることを想像しただけで嫌になった。
私の血とか遺伝子とかそういうものが組み込まれた子を愛せる自信がない(自信がないとか産みそうな文章書いてるけど授かってもないししてないよ)
そもそも母からして「死にたい」「死んじゃおっか」等の言葉をこぼす人間だった。
子供の頃の記憶は嫌なことばかり残っているもので「お金がなくなったら皆で死のうか」「そうだね心中しようか」といった感じの会話を両親がしていたことも覚えている。
両親の悪いところだけを抽出し凝縮された、なんならマイナス要素がややグレードアップしてしまった子供。となればその子供の子供は86%くらい更にマイナス方向へグレードアップした子になるだろう。
その血の運命!空!こぼれ落ちた2つの星が光と闇の水面にのみこまれてゆく!
マイナスの血はここで途絶えさせることが懸命な判断なのだ。
……と子供をすすめる子持ちの方々に言いたいのだけれど言えるはずもない。
なのでだいぶ端折って「結婚願望も子供がほしいとも思わないんです」と返す、が。
「そのうちいい人見つかるよ!」
「子供産むと自分の子って特別かわいいって思えてくるんだよ!」
その言葉に億が一背中を押された私が婚活して男性とお付き合いし結婚し子供を授けて産むも、特別憎たらしく思えるなんてことになったら責任をとってくれるのでしょうか。とってくれないでしょう。
きっと善意で言ってくださることも知ってるし、私の気が立ち過ぎなのも理解しているので胸が痛む。かと言って何回も押し付けられるのもそろそろ嫌気がさしてきた。耳にタコが出来そうだ。
本当に本当に子供が可愛いんだろうな、幸せそうだな、いいお母さんだなって尊敬する反面マウンティングされてる気がしてならない。
私の職場は私以外全員子持ちで、それもお子さんがことごとく私とほぼ同い年だ。仕事中ぽつぽつ話しているうちに何かしらの単語がきっかけに相手の子供の話に繋がる。愚痴に見せかけたうちの子自慢。
シフト希望を聞かれる度に「予定が全くないので何日出勤でも平気ですよ」と言えば「うちの(子)は次の日も朝早いのに会社の人と飲んだり友達と遊び呆けてばかりで…」
私にだって友達いますけどね。布団って言うんですけど。毎日布団とねんごろしてます。
ひたすら聞けばいいから楽だし話題の提供にもってこいだから大助かりで感謝もあるけども。
大半の親は自分の子供が愛おしいんだろう。それなら他者も同じ考えだろうってことだろうか。悪気がない分たちが悪い。
正直もう無理です。人間が無理です。卵子と精子が結びついて出来上がったものって認識になりつつあるし妊娠報告とか出産報告とか聞いたり見たりすると(あぁ、中出しをし中出しをされたんだ)と下世話な考えが頭をよぎる。もう嫌だ。人間に向いてない。
何書きたいかこんがらがってきた。
人生の行き先が不明瞭で時間ばかりが進んでいって、時計の針が幾度となくまわるばかり。こうして文字を入力している間にも私の存在が無意味となっていく。