生きゆく分別
カテゴリ・フォルダ分けが苦手だ。
例えばスマホのアプリのフォルダ分けだとすると『よく使う』『便利』『ゲーム』『SNS』とかいろいろ作成して、するのはいいのだけれど肝心のアプリをどこに入れればいいか迷ってしまう。
ツイッターはSNSだけどよく使うし、乗換案内だって便利でよく使うからまた然り。
パソコンを所持していたらフォルダの中にフォルダを作って、そこにまたフォルダを作って、そこにまたフォルダを……のマトリョーシカ状態にさせてしまうタイプです。
同じように人に対するカテゴライズを作成していた。人っていうのは無意識にフォルダを作り、作成した各フォルダにそれぞれの人間をいれておく。
私が人用に今まで作成していたフォルダは『好き』『苦手』『怖い』の3つだった。『嫌い』のフォルダを作らなかったのは認めたくなかったからだ。どんなに相手に嫌われていたり嫌な思いをさせられても、嫌いだって認めたくなかったんだ。
「あなたが私のことが大嫌いでも私はあなたが嫌いじゃないよ」って優しい言葉をかけたかったんだ。偽善でも。
でも最近、ようやくそれは言い訳なんだって。いい人しいなフリして優しい虚像を作り上げていることに疲れたんだ。
というわけで『怖い』と『苦手』を併合させ、更に『嫌い』フォルダを作った。
併合させた『怖い』と『苦手』は『怖いから苦手であって嫌いじゃない』ってことで、例を書くとすると『無愛想で怖いけれど分からなかったりすることや苦手なことをサポートしてくれるから嫌いじゃない』
『嫌い』は簡略的に書けば癪に障る人。
もちろん私自身は『嫌い』カテゴリに振り分けられる。
整理整頓が好きだけど苦手だ。おかげでカテゴリ分けがあいも変わらずごちゃごちゃで困った。
スケルトンゾンビが足にまとわりついてる感じがして、重くて、存在することの難しさに絶望して膝から崩れ落ちそうになる。
愛を渡せる量がない
今年で20半ばになる。四捨五入するとアラサーだ。後半だ。
20代後半になると7割上がってくる話題が「結婚」「子供」で、20代後半に『性別が女であること』が追加されるとなれば前述の話題が8割になるだろう。分からないけど。多分。
というより私がそう言われている。つまるところ私の話です。そうです。愚痴だな?と聞かれたら愚痴です。
子供は嫌いじゃない。可愛い。でも可愛いと思う反面、全ての人が怖くて子供も例外ではなく畏怖の念を抱いている。怖い。子供ゆえの無邪気さとか。可愛いけど関わりたくない。
可愛いんだよ。他人の子供は。他人の子供は可愛い。おめでとうと思える。
ところが、もし自分が子供を授かったらになると話が違うのだ。自身の腹の中に赤子がいることを想像しただけで嫌になった。
私の血とか遺伝子とかそういうものが組み込まれた子を愛せる自信がない(自信がないとか産みそうな文章書いてるけど授かってもないししてないよ)
そもそも母からして「死にたい」「死んじゃおっか」等の言葉をこぼす人間だった。
子供の頃の記憶は嫌なことばかり残っているもので「お金がなくなったら皆で死のうか」「そうだね心中しようか」といった感じの会話を両親がしていたことも覚えている。
両親の悪いところだけを抽出し凝縮された、なんならマイナス要素がややグレードアップしてしまった子供。となればその子供の子供は86%くらい更にマイナス方向へグレードアップした子になるだろう。
その血の運命!空!こぼれ落ちた2つの星が光と闇の水面にのみこまれてゆく!
マイナスの血はここで途絶えさせることが懸命な判断なのだ。
……と子供をすすめる子持ちの方々に言いたいのだけれど言えるはずもない。
なのでだいぶ端折って「結婚願望も子供がほしいとも思わないんです」と返す、が。
「そのうちいい人見つかるよ!」
「子供産むと自分の子って特別かわいいって思えてくるんだよ!」
その言葉に億が一背中を押された私が婚活して男性とお付き合いし結婚し子供を授けて産むも、特別憎たらしく思えるなんてことになったら責任をとってくれるのでしょうか。とってくれないでしょう。
きっと善意で言ってくださることも知ってるし、私の気が立ち過ぎなのも理解しているので胸が痛む。かと言って何回も押し付けられるのもそろそろ嫌気がさしてきた。耳にタコが出来そうだ。
本当に本当に子供が可愛いんだろうな、幸せそうだな、いいお母さんだなって尊敬する反面マウンティングされてる気がしてならない。
私の職場は私以外全員子持ちで、それもお子さんがことごとく私とほぼ同い年だ。仕事中ぽつぽつ話しているうちに何かしらの単語がきっかけに相手の子供の話に繋がる。愚痴に見せかけたうちの子自慢。
シフト希望を聞かれる度に「予定が全くないので何日出勤でも平気ですよ」と言えば「うちの(子)は次の日も朝早いのに会社の人と飲んだり友達と遊び呆けてばかりで…」
私にだって友達いますけどね。布団って言うんですけど。毎日布団とねんごろしてます。
ひたすら聞けばいいから楽だし話題の提供にもってこいだから大助かりで感謝もあるけども。
大半の親は自分の子供が愛おしいんだろう。それなら他者も同じ考えだろうってことだろうか。悪気がない分たちが悪い。
正直もう無理です。人間が無理です。卵子と精子が結びついて出来上がったものって認識になりつつあるし妊娠報告とか出産報告とか聞いたり見たりすると(あぁ、中出しをし中出しをされたんだ)と下世話な考えが頭をよぎる。もう嫌だ。人間に向いてない。
何書きたいかこんがらがってきた。
人生の行き先が不明瞭で時間ばかりが進んでいって、時計の針が幾度となくまわるばかり。こうして文字を入力している間にも私の存在が無意味となっていく。
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幼稚園の頃友達と遊んでいたら「シロシロシロ〜」と他の園児に謎の呪文と共に遊んでいた友達が連れ去られ私はぽつねんと一人立っていた。あの時は呆然とした。
小学生の時道徳の授業で「クラスの子に嫌な思いをしたでしょ??」と無神経に一人ひとりに聞き、順番のきた私は「〇〇ちゃんに悪口を言われた」と言った。これは紛れもない事実である。
私は怖くて間髪入れずに「気がした」と補足した。先生は「気がした?」と質問して、その質問になんの意味があるのか分からないし「聞きました」と答えたらどうなるか分かりきっているので「気がした」と陰口を言っていたこのためにこたえてあげた。
時は過ぎ高校生になって一ヶ月経ったある日、下駄箱に入っていた新品のローファーが少しクタクタになったローファーに取り替えられていたことがある。
少しサイズが大きかったものの、特に新品に思い入れがあるわけでも不便性も無かったので、卒業するまで誰が所有していたか分からないその靴を履いて過ごしてあげた。
ロッカーに誰かが食べ終えたパンの袋が何回かあっても私は何も言わずゴミ箱に捨ててあげた。
文化祭のちょっとした手伝いを各学年各クラスから二人やらなくてはならなくて、私ともう一人女の子になって、その女の子が当日サボった時も私だけで物を運んだりしてあげた。
「やっこさん」だなんて名前のカスリもしないあだ名で呼ばれたりクラスの男子からあからさまな嘲笑や面白くもないいじりをされても何も言い返さずへらへらして流してあげたし、「やっこさん」という馬鹿らしい呼び名には応えないようにしてあげた。
私は寛容なのだ。私は寛容で心が広くて優しいから。
臆病だとか八方美人だとか、都合の良い人間だとかそんなの知らない。そう思わないとやっていられない。
幸せにならなければいいとは書かないから、「あげた」なんて嫌味な書き方するくらいのことは許してほしい。
知らないおじさんに500円をあげたことも許してあげた。
沢山許して「あげた」んだからさ、私を許してくれ。
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こんばんは。よよいの酔の助です。
いきなり性癖を暴露する記事。気をつけてください。本当に。本当に。
失望してフォロー外すもよし。私はこういう人間なんだよ。ザルで振り落としてやるぞ。
僕はついていけるだろうか。君のいない世界のスピードに。
雌顔が好きだ。
突然何を言ってるんだと思うだろう。私もそう思う。
この際だから酒の勢いで書く。
冒頭に雌顔が好きと書いたけど、この雌顔は『攻め側の雌顔』なのだ。
もっと詳しく言うなればこれはBLGL分け隔てなく、BLなら『攻め』GLなら『タチ』と言うわけである。
つまりは受け(ネコ)がガチガチに攻め(もしくはタチ)を拘束して一方的にアレをこうするのに、攻め(タチ)………………めんどくさいから攻タ(攻めとタチの略)でいいや。攻タが堪えられず陥落して目が♡になるのが好きなのだ。
それでも陥落しない攻タも好きですが。どうにか真面目な考えで説得するの、いいね!ふぁぼ!
別シチュエーションで書くとなると王道の理性がプッツンですね。媚薬とかね。
そんで雌顔攻タが目を♡しながら男が男をアレしたり女の子が女の子をコレしたりするのが好きってワケなんですよ。
性癖なんですよ。
攻め(タチ)みたいな受け(ネコ)と受け(ネコ)みたいな攻め(タチ)がいいんですね。
あと攻タがよく実況してくれるのもいいよねっていう。「ウッ出すぞ!」じゃなくてさ、「ごめんなさい」とか謝りながら出すの。イイね!
受け(ネコ)より声いっぱい出すの好き。受け(ネコ)は恥ずかしくて声を殺そうにもたえられなくて次第に声出すんです。嘘つきました。襲う受ネ(受けとネコの略)が実況するのもいいですね。いいです。好きです。
受ネ「ほら、○○が☓☓してるよ」とかそういうのもいいよねっていう。
そこから攻タが形勢逆転するのも最高ですね。お互い目が♡です。なるほどね。
いかにもオタク・腐女子らしい文をしたためて大変申し訳ございませんでした。
話が変わりますがお布団にはいったの8:45くらいですが眠れません。
ハルシオン〜〜
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禁酒する
— 人生無理の助 (@mn8og) 2017年12月25日
禁酒を始めた。何故かと言うと………なんでだろう…
飲めないことがつらい。禁酒初日からきつかった。家に帰ったら酒飲もう!とか今日は何飲もうかな〜とか当たり前のように考えては禁酒始めたんだ!と頭を振った。
そして昨日ワインを飲んだ。
ワインは苦手なのだけれど数日間空けて飲むアルコールは最高だと思った。
飲んでんじゃんこのクズ!と思った皆さん、私はツイッターにてこんなことを言及しています。
明日からすすめられたお酒以外飲まない買わない
— 人生無理の助 (@mn8og) 2017年12月25日
そう!ワインはすすめられて飲んだのだ!
父が私のためにワインを買ってきてくれたのだ!
そんな父の好意を蔑ろになんかしない!!!!!サンキュー!!
というわけです。
日付は変わり今日の話をしましょう。
私は酒を飲みたいです。近くにコンビニがあります。入ったら多分買います。なので入りません。
大丈夫、私は禁酒を続けられる。ワイン飲んじゃったけど。
なんでそこまで禁酒にこだわるのか私でも分からないし何を伝えたいのかも分かりません。
とりあえず昨晩は酒を飲んだけど自分のキメたルールの範囲内なのでセーフですよって自己弁護したいだけでした。
以上です、良いお年を。
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「自分じゃない自分を作って接する、って考えるといいよ」
お電話せんたーではたらいてた時にアドバイスされた言葉だ。
2017年の春、人と話すことがとてつもなく苦手なくせに見知らぬ人間に電話をし売り込みをする、そんなバイトに馬鹿げたチャレンジをした。時給が高かったからだ。死にたいくせに生きる、好き勝手する金が欲しかった。
架電と受電は違う。どちらも苦手だけれど。
架電すれば仕事中に営業電話かけんな、訴えるぞ。
受電すれば正当なクレームがあれば理不尽なクレームが来る。受電はやったことない。知人から聞いた話だ。
どちらにせよ怒る人は怒る。怖い。
もうどこの業種のどこの店だかも忘れたけれど、グーグル先生の評価でネット利用者から「皆とても優しい従業員でした!」など好感を得ている所に電話したがブチギレられた時の衝撃。お客様さまは神様で、お客様でなければ最下層の人間なわけだ。
私はもちろんノルマ達成率は低く、そして契約率も比例して低かった。
もともとコミュ力弱小なんだから仕方ないと心の中で弁解するも、それなりに責任感はあったのでちょこちょこロールプレイングをした。そうしてある時言われた言葉が冒頭のものである。
そのアドバイス通り、私ではない私として相手と話そうとした。
結論から書こう。無理だった。
果たして無理だった。
今になってようやく分かった気がする。出来なかった理由は『もともと自分じゃない自分で仕事をしていた』からである。
私は内弁慶でありそしてネット弁慶だ。なので実際に顔をあわせる人に対して基本的に汚い本音を隠して、というか言えずにへにゃへにゃした頼りない下手くそな笑いを浮かべてはい/いいえ、そうですねの応用、分かりました、すみません、といった機械じみたことしか話せない。
などと書くとわざと話すことを避けていると読み取られがちなのだけれど、実際に言葉や話題の引き出しがとてつもなく乏しい。じゃあ自分じゃないかともなるだろうけど違うそうじゃない(画像略)
態度、行動、声の高低、ふとした所作、表情の動き。
見られている。気を抜けば彼ら彼女らは私を見破る。
怖かった。だから尚更余計に私は私じゃない私で振る舞った。
つまりは『もともと自分じゃない自分を演じている上に自分じゃない自分を重ねて演じる』というややこしいことは不可能だったわけだ。
無論破滅した。
今の仕事の話をしよう。事務である。
やれることは、動きが遅かれど覚えた。しかしまだ覚えることがある。だがそれを覚える時期は今ではないのだ。
そんなわけで、あまりにもやることがないのでトイレ掃除しますよ!と名乗りを上げた。が、その度にタイミングが合わず今度教えるね、と言われるのを3回くらい繰り返した。
もはやトイレ掃除が好きな人として認識されていそうだ。
仕方なく床掃除を率先して行えばあなたみたいな女の子を嫁に欲しいものだと言われた。
私は思った。やめといた方がいいですよ。きっと嫁になんていったら一切何もしなくなるか、偽りの自分に耐えきれず自殺しますから、と。
彼女たちが欲しがる息子娘にふさわしい妻夫は気の利く都合の良い人間なのだと感じた。冗談で言ったとしても根底はそうなのだろう。要するに口答えをしない家事ラクラク、ストレス発散ロボット。
誰しもがねこをかぶってる。裏表のない人は稀で、それこそがきっと真実なんだろう。しかしそれを証明する人物がいないことも真実だ。本音は漏らさない限り自分自身しか知らないのだから。
いっときでも自分でない自分でいられることが救いだった。そしてそれが良くないことだった。
薬と酒を飲めば数十分後には普段の私は鳴りを潜めて知らない私が顔を出す。その私がどんな自分なのかすら知らない。
だから後悔する。覚えのない会話、覚えのない写真、覚えのない失態。正気に戻った時の自己嫌悪。
そうして私はまた酒と薬に手を出すのだ。
星の王子さまは地球へ来る途中酒飲みのおじさんがいる星に辿り着く。おじさんは酒を飲む。酒を飲むことを恥じて酒を飲む。それをまた恥じて酒を飲む。幾度となく繰り返す。この悪循環は止まらない。彼はまるで私だ。
私の星は矮小で欲にまみれた星だ。爆発すればいい。
むだばなし
貴志祐介の青の炎が好きだ。
子供の頃、病院かどこかでコミカライズを読んで衝撃を受けた。それは今でも自分を構成するものの中のごくであるが一部になっている。
初めて漫画で読んで約十年経ち、やっと原作小説を読んだ時は難航したものだ。理化学がまるで分からないから。
それでもやっぱり好きで、何が好きかって終わり方が好き。
愛する家族を守る為に行ったことが逆に愛する家族を苦しめていく。自分で自分の首をしめていく。
そうして最後に決断した主人公の結末。普遍的であっけないと書けばあっけないが、それなのに読後はなんだか虚しさのような寂しさのような形容し難いぽっかりとした穴を開けられる。
映画は観てない。けど、『好きな物』の羅列?はどういうわけかぼんやり頭に残っている。いつか観たいものだ。
漫画版を描いた人がペケを描いた人と同一人物であることが信じられないでいる。
黒い家は観た時の年齢が確か(確か、の話)青の炎を漫画で読んだ時より幼く無知故に全く覚えてない。でも大竹しのぶが怖かったこととボーリングだけは頭に残っている。
悪の教典は映画で観た。続くことを匂わせる終わり方以外は好みだった。
なんだかんだ貴志祐介氏は私の好みを突いてくるらしい。
容疑者Xの献身も好き。映画も小説も。救われるようで救われない、やりきれない。
正直ガリレオシリーズは湯川と草薙のコンビが好きだから小説の方が好きだ。内海さん嫌いじゃないけど湯川と草薙のコンビで観たかった気持ちもある…それでさ…北村1輝の聖女の救済をさぁ…藤TVさんよォ…!
気持ちが高ぶってきたからここで終わり。