おうち

私の両親はよく諍いを起こす。それは彼らにとってはなんてことない日常なのだが私にとっては大変不愉快な近隣迷惑に値する音量だった。

この不愉快なやりとりを拒絶させるために音量を大きめにして音楽を聞く。しかし。しかしである。彼らは私を呼ぶのだ。なぜだか分からないけれど私を呼ぶ。私が返事をするまで呼ぶ。説明するのが遅れてしまったのだが私の部屋はややプライバシーが無い。バッタンドアがいい、ガラガラドアと障子は嫌だという意見は「それでは廊下の日光が当たらないだろう」という理由のもと却下され理想としていた洋風でかわいらしくてお人形さんのような部屋とやや斜め違った、両親の寝室と隔たれたものは障子とプライバシーを無視して全開すれば風通しのいい引きドアという2つの入り口が出来上がった。心もとなさすぎる障子の間には一応遮光カーテンがかけられたものの上の隙間から自室の明かりが寝室へ漏れるらしく夜中に「早く寝ろ」と何回も叱られるはめとなる。

前述書いたとおり両親は時折私に声を呼びかける。私が返事をするまで呼びかける。しまいには無遠慮に(主に)ドアを勝手に開けてまでよんだ。私が世間的に後ろめたいことをしていたらどうしてくれるんだ。

私の自由部屋ができて嬉しんだのはつかの間、いつしかこの自室を監視室と認識していた。今もである。おかげさまなのかどうか分からないが「気のせいだと分かっているけれどもどこにいても誰かが私を監視しているのではないだろうか」といった被害妄想がうまれた。ちなみにまったく気のせいだとか被害妄想とかではなくあんまり遅く出かけると家族から電話がかかってくる。過去には60秒だったか90秒だったかはたまた120秒だかのコール×3をされた。家族に申し訳ない感想と思いつつ一種のストーカーではないのか?と恐怖を感じてあの日から余計恐ろしくなった。

この家は愛おしくも憎らしい入院施設だ。

「うらめしや」

空想の女の子に何百回ひどいことをしてしまったことだろう。

何度も首を吊らせたり絞めたし、薬もたくさん飲ませたし、高いところからだって何回もさせてる。他にも切らせたり、吐かせたり、何よりどれだけ泣かせたか分からない。私のわがままにより空想の女の子達は今までもこれからも嫌な思いをする。私が出来ないことを、したいことをさせる。

自己投影じゃないんです。でも共有してらいたいとか道連れにして痛み分けしたくて、なのに現実でそれを出来るのは困難で、近くに傍らにいないからおそらくこれは虐待だとかドメスティックバイオレンスというか

 

かわいそうだ。でも描くことですっきりする。ちょっとだけ思考がまとまるような整理されて心に余裕が生まれる気がして犠牲になってもらってる、生贄にしてる。ごめんね。

でも幸せにもしたいので感情がごちゃまぜでグチャグチャだ。罪悪感で胸を傷ませながらシャープペンシルを走らせる。罪悪感が爽快感に変わる時うれしいようなかなしいような気持ちになる。ごめんね。

むしろ私以外の人間みんながある日突然消えちゃったらと考えた。

幽霊とか怪物なんて存在しなくて、人が飼ってた動物はまぁいつの間にか開放されてたってことにして、電気ガス水電波もろもろ使えるご都合主義で、木々は変わらず野生動物もそのままいて、本当に人間だけがまるっといなくなったら。

多分自殺するだろうなという結論に至る。

最初は戸惑いながら嬉しく思うかな、だって労働しなくていいし好き放題出来る。お腹が空いたら適当に保存食を食べれるしずっと絵を描いたり本を読んだり出来る。好きな時に眠れる。やった!これから自由だ!って大声出しながらジャンプしても構わない。

でも段々寂しくなる。絵を描いても自画自賛したり自己否定して一人芝居、本を読んで分かち合えたりあーだこうだと語る誰かがいない。電力があったってTwitterしても自分以外のつぶやきのないタイムライン。

動物がいたって私はディズニープリンセスにはなれなかった。おそらく熊に喰われるだろう。鹿には蹴られ猫には引っかかれ犬には噛みつかれ…これからもなれずにいるだろうに。

 

私をひっくるめて人類滅亡するか、私だけが勝手に自殺するかのどっちかなんだなと思った。

もう何もないって。脳がぐちゃぐちゃであーとかうーとかそういった簡易的な言葉にしか成り立たない。人として駄目じゃん。人と共に生活するの困難じゃん。

泣いた。駄目駄目になった。いい大人が人前で泣いてしまったことが情けなくて余計涙が溢れた。

まぁその、お決まりの台詞が出て。魔法の激励ワード「これからだよ」「私もそんなことあったから大丈夫だよ」ってそんなワード私にとっては死の呪文です!!地雷です!!!

今現在の話してるし私の話だし所々空白はあるけど社会人として身を乗り出してから8年経ってるから社会人でも社会人初心者でもない微妙な人間なんで薄っぺらい馬鹿のノロマでトンマででくのぼうで無理です、人生無理だってことは学習したもう若くもない何もない出来損ないの人間ですのでもううまくいかない全部うまくいかない!死にたい

じゃあそんなんだったらお前どんな言葉投げかけられたいの?どう言えば納得して満たされるの?って聞かれたら詰まる。答えられない。それじゃお互い地獄だし、だから、もう本音は言わないようにしようって。言ったところで救われないし、相手も疲れちゃうだけだよ。親に何考えてるか分からないってよく言われるけど自分の考えを伝えることが苦手なの…お母さんごめんね…でもこれからも言わない。少しだけの本心を織り交ぜて話すだろうけどほぼほぼこういったブログとかツイッターとか絵とかに叩き込むと思う。ほら今も!ネットの成長と共に育ってきた人間だから、ネットと寄り添って生きてきたから、いつの間にかかけがえのない存在になってたネットにひっそり弱音を吐くほうが性に合ってるんだ、ね。

疲れた。疲れちゃった。もっときちんとなにがどうあってこんな気分になったんですって、文章で書き表したいのにそれすら出来ないの。惨めで哀れだ。死んでしまいたいよ。向いてないよ。

 

昨日勢いで吸血鬼すぐ死ぬを全巻買ったんです。泣きべそかいてつらい気持ちで今日帰って、途中で止めてた続きを読んだらフフって笑えて、あ、良かったって安心したり、とか、しました。おすすめのギャグ漫画です。

覚え書き

常に存在のタイミング悪いので割と自分の悪い方の話題で盛り上がってる所に出くわす。とてもつらい。

今日も存在するタイミングが駄目だったみたいで掃除当番だったから席外して、15分くらいしてさぁ終わった机に戻ろうって廊下歩いてたんです。

ドア空いていて、廊下からでも(あ、何か談笑してるな)って察するくらいの声が聞こえてて。会話下手くそ体質なので混ざれず他の人だけでお話していることくらい日常茶飯事なので気にせず、その時点では盛り上がってるなぁーくらいしか思ってなかったけれどそれからが問題で、私が入ったらさ、急にヒソヒソ声でしゃべっててさ、でも(いや、今盛り上がってる話は私の知らない人の話題だろうな)ってスルーしてたらかすかに聞こえるどの単語でピンと来ました。

その話、私に関連しているでしょう!

ピンと来るとどうして急にヒソヒソ声になったのかも分かってしまう。本人がいるからだ。いやいや〜〜〜!!!明らかに私に関する話でしょ〜〜!!嫌でも理解した〜〜!なのに話し続けるんだからびっくり!

いつも『あの人私のこと嘲笑ってるかも』『あの人たち私のこと嫌ってる』とか考えちゃって、その度に平気平気、被害妄想だって自覚してるから平気だって言い聞かせてるしそれが事実!って分かってるけどね、今回ばかりはね、ハッキリ的確に私に向けての言葉だって思ってしまったんです。思ってしまったら止まらなくなってしまったんです。

 

胃がキリキリする一方だし頭も痛いし、気持ち悪いのが更に気持ち悪くなってがるしでその場に居るのがとても最悪になりました。消えた〜〜〜〜〜〜〜い!!

きちんと何がどうしてこうなってこう思いましたって文章を書き連ねたいのですが思い起こすのもつらいし書くの下手くそだから大分はしょってます。ただなんというか、現実で愚痴を誰かにこぼさずにしている(えらい)こと、そしてなによりこぼす相手がいない、このモヤモヤして誰かに分かってもらいたいって気持ちがあるので、人の子なので。はい。

夢めも

二人 知らない人の首をノコギリで切断する夢見た。豆腐を包丁で切るようにスッと切れた。

道路、軽トラの荷台で殺したのに気付いたら全部無くなってたのだけれど、誰が隠蔽してくれたんだろう、起きても分からず終いのまま。

全然罪悪感がないしそれどころか爽快だった気がする。あんなにあけすけにやりました!って感じだったのに疑われなくて不思議だったけどある日ちょっと核心めいたことを聞かれて、その時やっと怖くなった。捕まりたくなかった。あんなことしなければよかったと思った。

ビニール傘が重要な物だったけどどっか行った。それも誰かが隠してくれたらしい。

畑にある緑色した生ゴミ処理機、学校のプールに死体があったのかもしれない。なんでバレなかったんだ。

夢なのでご都合主義。おわり。

 

震える手で必死に、腰を浮かす彼の袖口を握りしめて「好きです」と告白したのです。

ええ、ええ、伝えました。付き合ってください、とも、伝えました。何故とは。ただひたすらにあの瞬間でなければ、吐露出来なければついぞ叶うものではないと思ったのです。ですから、勇気をふりしぼっただけのことでした。

あの方の声を、覚えておりません。あの方の顔も、覚えておりません。ただ、黒いスーツ、白いシャツだけが印象的で、ああ、名も顔も知れぬ彼。彼が私に言い寄られ困った顔をしていたことだけは覚えております。そして、今言うのかと、困惑、苦笑いの混じった表情で答えたことも。何故でしょうか、顔も思い出せないのにそうであるという確証がありました。

 

物語はそれきりでした。「はい」とも「いいえ」とも、返事のない、有耶無耶な告白であったのに、すっきりしていたのは何故なのでしょう。正直に伝えたからでしょうか。肯定も、否定もされなかったからでしょうか。私には、分からなかったのです。